アルチュール・ランボーの生涯:20歳で文学を捨てた放浪の鬼才

19世紀フランスの天才詩人、
アルチュール・ランボー(1854年〜1891年)
の波乱に満ちた37年間の生涯を
解説している動画です。

早熟な天才と「見者の手紙」

神童の誕生

フランス北部のシャルルビルに生まれ、
ラテン語の詩などで
数々の賞を総なめにするほどの優等生でした。

しかし、厳格な母親への反抗心から、
15歳で家出を繰り返し、
放浪の旅へと向かいます。

詩の革命

16歳の時、
友人たちに宛てた「見者の手紙」の中で、

「詩人は
あらゆる感覚を意識的に錯乱させることで
『見者(予言者)』になるべきだ」

という革命的な詩論を展開しました。

有名な
「私は一個の他者である」
という言葉もここから生まれました。

ヴェルレーヌとの破滅的な恋愛

「酔いどれ船」

17歳の時、
詩人ポール・ヴェルレーヌに
自作の詩を送り、
パリに呼び寄せられます。

二人はアブサンやアヘンに溺れ、
放浪生活を送る
破滅的な恋愛関係に陥りました。

ブリュッセル事件

1873年、
痴話喧嘩の末に
ヴェルレーヌが拳銃を放ち、
ランボーの左手を負傷させました。

この事件により
ヴェルレーヌは投獄され、
二人の関係は終わりました。

この直後に書かれたのが
傑作『地獄の季節』です。

20歳での絶筆と「風の靴を履いた男」

文学の放棄

20歳にして詩を書くことを完全にやめ、
それまでの自分を否定するように
世界中を放浪し始めました。

ヴェルレーヌは彼を
「風の靴を履いた男」
と呼びました。

アフリカの貿易商

1880年頃から
アラビア半島や
アフリカ(エチオピア)へ渡り、
コーヒー貿易や武器取引に従事する
商人となりました。

かつての放埓な詩人からは想像もつかないほど、
誠実で几帳面なビジネスマンとして
現地で信頼を得ていました。

悲劇的な最期と死後の名声

37歳での死

右膝の腫瘍(骨肉腫)により足を切断。

病状が悪化し、
1891年にマルセイユの病院で
37歳の若さで亡くなりました。

伝説の始まり

皮肉にも彼の死後、
遺された詩が再評価され、
象徴主義やシュルレアリスム、
さらにはビート・ジェネレーションなど、
後のあらゆる文学や芸術に
絶大な影響を与えることとなりました。

結論

アルチュール・ランボーは、
「詩の概念を破壊し、
自らも詩を捨てて
別の人生を駆け抜けた、
永遠の半逆児」

でした。

10代で書かれた数少ない作品は、
今なお世界中の読者を魅了し、
自由を求める魂の象徴であり続けています。

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