フランスの
「呪われた詩人」を代表する天才、
ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)
の波乱に満ちた生涯を解説している動画です。
奇妙な生い立ちと早熟な才能
誕生と家庭環境
1844年、
軍人の家庭に生まれました。
母親は流産した胎児を
瓶に入れて保管しており、
ヴェルレーヌは
その不気味な環境で
溺愛されて育ちました。
早熟な詩人
わずか14歳で
巨匠ヴィクトル・ユゴーに自作の詩を送り、
22歳で処女詩集
『サチュルニア詩集(土星人の歌)』
を出版しました。
ボードレールの影響を受け、
メランコリー(憂鬱)を象徴する
土星を自らの運命と重ねていました。
「音楽」のような詩とスキャンダル
詩の革新
ヴェルレーヌは
「何よりもまず音楽を」と主張し、
意味よりも響きやリズムを重視した
象徴派の先駆者となりました。
ドビュッシーやフォーレら
多くの作曲家を魅了し、
彼の詩は「音楽と結婚した」と評されました。
破滅的な私生活
美しい詩を書く一方で、
重度のアルコール(アブサン)依存症であり、
酒に酔うと
母親や妻に暴力を振るうという
極めて暴力的な一面を持っていました。
ランボーとの狂気的な愛
天才少年との出会い
1871年、
16歳の天才詩人
アルチュール・ランボーをパリに招き、
その才能と美貌に魅了されます。
ヴェルレーヌは妻子を捨て、
ランボーと
放浪・自堕落な生活を送りました。
ブリュッセル発砲事件
1873年、
別れを切り出したランボーに対し、
絶望したヴェルレーヌが拳銃で発砲。
ランボーの左手に命中し、
ヴェルレーヌは逮捕され
懲役2年の刑を受けました。
この時、
同性愛関係も露見し、
社会的に抹殺されました。
信仰、転落、そして「詩人の王」
獄中の改心
刑務所の中で
カトリックに回帰し、
多くの傑作を生み出しました。
出所後は教師として
真面目に働こうとした時期もありましたが、
再び酒と病に溺れ、
晩年は浮浪者のような生活を送りました。
名誉ある最期
1894年、
仲間たちから
「詩人の王」に選ばれ、
フランス最大の詩人として認められました。
1896年に51歳で死去した際、
葬儀には5000人もの人々が集まり、
貴族から浮浪者までが
彼の死を悼みました。
結論
ヴェルレーヌの人生は、
「崇高な芸術的才能」
と
「醜く弱い人間性」という、
極端な矛盾が同居していました。
しかし、
その弱さから生まれた
繊細で音楽的な詩は、
今も世界中で愛され続け、
日本でも上田敏の訳『落葉』など
を通じて広く親しまれています。